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今・ここを喜び、感謝し、プラス思考で、前向きに、人向きに。残り少ない人生、今まで以上に知的好奇心一杯に・・・。昨年、94㎏から79㎏になったが、1年後の今90㎏に。これにはマイッタ。大学時代の72㎏になればいいなと、また減量しようと。1年で10㎏を行ったり来たりを経験。体重というのは、どないでもなるものですねえ。さて、もう一度、今度は自分の意志で70㎏台に出来るのでしょうか。痩せるかどうかは、サプリメントの問題でも、機械の問題でもなく、「意志」の問題。太ってしまう弱い意志の持ち主が原因と思うのです。さて、今後どう変化するのでしょうか。自分実験を楽しみたいと思います。目標があるから、楽しめますヨネ。

2012年05月20日

昭和42年の1月

1月1日
 降雨
 昭和42年の元旦を迎へ家内一同は、健康であり、何よりもおめでたい事である。
 今年の元旦は、朝から小降りで終日の雨。日記を繰り返して見れば、5年目の久しぶりの雨であった。
 今日は、午後一時から、一夫の村内友人八人を招待して、楽しく六時までのんで帰った。早々から各方面からたくさんの年賀状をいただいたが、中にも、紀伊の山内医師は瀬戸の○島まできている。急であったので挨拶もせず失礼した。又帰りましたらよろしくとの年賀状の通知は目を引いた。

※やはり、祖父は少なくとも5年前から日記を書いていることがわかる。残念ながらその日記はないのだが・・・。一日の費に、村の人を招いての新年会をしていたのだなあ。
父親は、水利組合長などであったからか、よく飲み会が家であった。20人ほどのその客があれば、鍋が3つ4つある。その鍋に残った少し焦げたような肉だが、普段は家で飼っていた鶏肉ばかりだったので、その宴会で残ったすき焼きの肉が私にしては大変なごちそうであったのを思い出した。


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