2012年05月20日
昭和42年の1月
1月1日
降雨
昭和42年の元旦を迎へ家内一同は、健康であり、何よりもおめでたい事である。
今年の元旦は、朝から小降りで終日の雨。日記を繰り返して見れば、5年目の久しぶりの雨であった。
今日は、午後一時から、一夫の村内友人八人を招待して、楽しく六時までのんで帰った。早々から各方面からたくさんの年賀状をいただいたが、中にも、紀伊の山内医師は瀬戸の○島まできている。急であったので挨拶もせず失礼した。又帰りましたらよろしくとの年賀状の通知は目を引いた。
※やはり、祖父は少なくとも5年前から日記を書いていることがわかる。残念ながらその日記はないのだが・・・。一日の費に、村の人を招いての新年会をしていたのだなあ。
父親は、水利組合長などであったからか、よく飲み会が家であった。20人ほどのその客があれば、鍋が3つ4つある。その鍋に残った少し焦げたような肉だが、普段は家で飼っていた鶏肉ばかりだったので、その宴会で残ったすき焼きの肉が私にしては大変なごちそうであったのを思い出した。
降雨
昭和42年の元旦を迎へ家内一同は、健康であり、何よりもおめでたい事である。
今年の元旦は、朝から小降りで終日の雨。日記を繰り返して見れば、5年目の久しぶりの雨であった。
今日は、午後一時から、一夫の村内友人八人を招待して、楽しく六時までのんで帰った。早々から各方面からたくさんの年賀状をいただいたが、中にも、紀伊の山内医師は瀬戸の○島まできている。急であったので挨拶もせず失礼した。又帰りましたらよろしくとの年賀状の通知は目を引いた。
※やはり、祖父は少なくとも5年前から日記を書いていることがわかる。残念ながらその日記はないのだが・・・。一日の費に、村の人を招いての新年会をしていたのだなあ。
父親は、水利組合長などであったからか、よく飲み会が家であった。20人ほどのその客があれば、鍋が3つ4つある。その鍋に残った少し焦げたような肉だが、普段は家で飼っていた鶏肉ばかりだったので、その宴会で残ったすき焼きの肉が私にしては大変なごちそうであったのを思い出した。
Posted by プラス at 21:21│Comments(0)
│祖父の91歳までの日記から