2011年11月25日
あのちいさいころの
人の記憶というのは、勝手なものである。真実でなくても、私にとって事実だと思い込んでいる。
例えば、今となっては、分からないことだし、どうでもよいことなのだが、こんなことである。
五歳年上の兄と一緒に学校に通っていた。その、幼稚園のころの記憶である。
私は、まだ、ジャンケンがわかっていなかった。なせかジャンケンで負けて、兄のカバンを持って歩いた。いつの頃か、勝ち負けがわからないので、負けたことにして持たせたと、兄から聞いたような気がする。
きっと、その兄に、なにかを取られないように、手元におくような行動になったのでないだろうか。
カバン持ちも、真実はわからないが、私の中では、そういう記憶として残っている。お菓子の分配も、あったのでないだろうか。
わからないが、手元に置くことが、一番の安全という、刷り込みが、おこなわれた?
その結果として、今の奇妙な行動に結びついている。
それは、ないか。
でも、不可解な人の行動。案外小さい頃の何が作用して今の行動パターンに結びついていると、想像たくましくしている私である。
例えば、今となっては、分からないことだし、どうでもよいことなのだが、こんなことである。
五歳年上の兄と一緒に学校に通っていた。その、幼稚園のころの記憶である。
私は、まだ、ジャンケンがわかっていなかった。なせかジャンケンで負けて、兄のカバンを持って歩いた。いつの頃か、勝ち負けがわからないので、負けたことにして持たせたと、兄から聞いたような気がする。
きっと、その兄に、なにかを取られないように、手元におくような行動になったのでないだろうか。
カバン持ちも、真実はわからないが、私の中では、そういう記憶として残っている。お菓子の分配も、あったのでないだろうか。
わからないが、手元に置くことが、一番の安全という、刷り込みが、おこなわれた?
その結果として、今の奇妙な行動に結びついている。
それは、ないか。
でも、不可解な人の行動。案外小さい頃の何が作用して今の行動パターンに結びついていると、想像たくましくしている私である。
Posted by プラス at 07:15│Comments(0)
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