2012年05月21日
祖父日記、昭和42年1月2日
昭和42年1月2日
朝は小雨。後晴れ。
今朝は小雨が残っていたが、次第らお天気になった。
今日はお客も泣く静かな1日であった。一夫は、今日は日直で、四時頃までには学校へ行かなければならんが、その間初美、哲ちゃんをのせて行き先は言わなかったが、たぶん日前宮さんか亀山山東の伊太祈そさんへおまいりしたのかも知るれん。
※四時頃までにというのだから、日直でなく、宿直だろう。まだ、宿直があった時代だったのかなあ。
私の小さい頃には、あった記憶がある。どの時期に学校の宿直がなくなったのだろう。
初詣に連れってもらっていることが、わかる。
家では、一日の朝一番に、神様にお供えをし、それからすぐに父親と兄と私が連れ立って、村の寺と山の近くにあるお宮さんに、お詣りするのが、年始めの行事であった。
正月の楽しみは、焼いた鯛が私が好きな一番のごちそうであった。
朝は小雨。後晴れ。
今朝は小雨が残っていたが、次第らお天気になった。
今日はお客も泣く静かな1日であった。一夫は、今日は日直で、四時頃までには学校へ行かなければならんが、その間初美、哲ちゃんをのせて行き先は言わなかったが、たぶん日前宮さんか亀山山東の伊太祈そさんへおまいりしたのかも知るれん。
※四時頃までにというのだから、日直でなく、宿直だろう。まだ、宿直があった時代だったのかなあ。
私の小さい頃には、あった記憶がある。どの時期に学校の宿直がなくなったのだろう。
初詣に連れってもらっていることが、わかる。
家では、一日の朝一番に、神様にお供えをし、それからすぐに父親と兄と私が連れ立って、村の寺と山の近くにあるお宮さんに、お詣りするのが、年始めの行事であった。
正月の楽しみは、焼いた鯛が私が好きな一番のごちそうであった。
2012年05月20日
昭和42年の1月
1月1日
降雨
昭和42年の元旦を迎へ家内一同は、健康であり、何よりもおめでたい事である。
今年の元旦は、朝から小降りで終日の雨。日記を繰り返して見れば、5年目の久しぶりの雨であった。
今日は、午後一時から、一夫の村内友人八人を招待して、楽しく六時までのんで帰った。早々から各方面からたくさんの年賀状をいただいたが、中にも、紀伊の山内医師は瀬戸の○島まできている。急であったので挨拶もせず失礼した。又帰りましたらよろしくとの年賀状の通知は目を引いた。
※やはり、祖父は少なくとも5年前から日記を書いていることがわかる。残念ながらその日記はないのだが・・・。一日の費に、村の人を招いての新年会をしていたのだなあ。
父親は、水利組合長などであったからか、よく飲み会が家であった。20人ほどのその客があれば、鍋が3つ4つある。その鍋に残った少し焦げたような肉だが、普段は家で飼っていた鶏肉ばかりだったので、その宴会で残ったすき焼きの肉が私にしては大変なごちそうであったのを思い出した。
降雨
昭和42年の元旦を迎へ家内一同は、健康であり、何よりもおめでたい事である。
今年の元旦は、朝から小降りで終日の雨。日記を繰り返して見れば、5年目の久しぶりの雨であった。
今日は、午後一時から、一夫の村内友人八人を招待して、楽しく六時までのんで帰った。早々から各方面からたくさんの年賀状をいただいたが、中にも、紀伊の山内医師は瀬戸の○島まできている。急であったので挨拶もせず失礼した。又帰りましたらよろしくとの年賀状の通知は目を引いた。
※やはり、祖父は少なくとも5年前から日記を書いていることがわかる。残念ながらその日記はないのだが・・・。一日の費に、村の人を招いての新年会をしていたのだなあ。
父親は、水利組合長などであったからか、よく飲み会が家であった。20人ほどのその客があれば、鍋が3つ4つある。その鍋に残った少し焦げたような肉だが、普段は家で飼っていた鶏肉ばかりだったので、その宴会で残ったすき焼きの肉が私にしては大変なごちそうであったのを思い出した。
2012年05月19日
祖父の91歳までの日記から
今の命、まだ未定であるが、自分として今年中のように思う。昭和42年正月
日記を開いた冒頭のページに、先祖の命日を書き、その横にこのように記してある。
88歳の祖父。大変気丈な祖父であった。しかし、このように思っていたのかと、驚いている。
実家を整理していたら、祖父の日記が4冊出てきたという。兄に譲ってもらい、家に持って帰ってきた。
91歳になくなった祖父、亀吉じいさんの日記とたまたまこのように出逢った。祖父は、ずっと若い頃から日記をつけていたように思うが、出てきたのが4冊だけ。祖父が亡くなるまでの4年間にあたる日記である。
このように出逢い、私の手元に来るというのも、何か私にとって意味のあることなのだと思っている。
なくなるまでの4年間分の4冊の日記が、私の前につまれている。先を急ぎたい気がするが、順にページをめくっていこうと思う。
急がずに、少しずつ祖父の生きてきた日々をたどっていきたいと思う。
日記を開いた冒頭のページに、先祖の命日を書き、その横にこのように記してある。
88歳の祖父。大変気丈な祖父であった。しかし、このように思っていたのかと、驚いている。
実家を整理していたら、祖父の日記が4冊出てきたという。兄に譲ってもらい、家に持って帰ってきた。
91歳になくなった祖父、亀吉じいさんの日記とたまたまこのように出逢った。祖父は、ずっと若い頃から日記をつけていたように思うが、出てきたのが4冊だけ。祖父が亡くなるまでの4年間にあたる日記である。
このように出逢い、私の手元に来るというのも、何か私にとって意味のあることなのだと思っている。
なくなるまでの4年間分の4冊の日記が、私の前につまれている。先を急ぎたい気がするが、順にページをめくっていこうと思う。
急がずに、少しずつ祖父の生きてきた日々をたどっていきたいと思う。