2010年12月01日
83.9キロただいま
情報をもらえると思って、うろうろしていました。
9時に、チェックすると、すでにその状態だったので、・・・
私も、10時前に帰宅。
今、体重チェックすると、83.9キロ。
うれしいじゃありませんか。
ひさびさの83キロ台です。
ここ5年は、ないことです。
なんか・・・83キロが通過点で・・・
72キロまで、行けるのじゃないかと思えてくるのです。
だって、3年前にこのブログを始めたときは、94キロだったのですから。
3年間で、10キロ低くなったと言うことは、また、3年経てば、また10キロ低くなってもおかしくないのです。
さてさて・・・・あと3年は・・・いこらブログが・・・・あるでしょうかねえ・・・。
1年で3キロ、3年で9キロです。そちらの方向に舵をむければ、たやすいことのように思いますよねえ。
とくに、何かに頼らなくても。
しかし、・・・1万円くらいで、痩せるなにかをすれば、いっぺんに5キロ以上・・・痩せたとオッしゃく方が近くにいます。そんなこともできるのですねえ・・。
まっ・・・これで、金曜日に、「1っかげつ5キロおとそう」という相手のかたと、体重計に乗れます。
5キロ落とせなかった人が、ケーキをおごることになっていますが、少なくとも、僕は大丈夫でしょう。
あの方も5キロ低くなっていれば、自分でケーキを買って、立会人に買ってあげることになっています。
さて、金曜日どうなるのでしょうか。
9時に、チェックすると、すでにその状態だったので、・・・
私も、10時前に帰宅。
今、体重チェックすると、83.9キロ。
うれしいじゃありませんか。
ひさびさの83キロ台です。
ここ5年は、ないことです。
なんか・・・83キロが通過点で・・・
72キロまで、行けるのじゃないかと思えてくるのです。
だって、3年前にこのブログを始めたときは、94キロだったのですから。
3年間で、10キロ低くなったと言うことは、また、3年経てば、また10キロ低くなってもおかしくないのです。
さてさて・・・・あと3年は・・・いこらブログが・・・・あるでしょうかねえ・・・。
1年で3キロ、3年で9キロです。そちらの方向に舵をむければ、たやすいことのように思いますよねえ。
とくに、何かに頼らなくても。
しかし、・・・1万円くらいで、痩せるなにかをすれば、いっぺんに5キロ以上・・・痩せたとオッしゃく方が近くにいます。そんなこともできるのですねえ・・。
まっ・・・これで、金曜日に、「1っかげつ5キロおとそう」という相手のかたと、体重計に乗れます。
5キロ落とせなかった人が、ケーキをおごることになっていますが、少なくとも、僕は大丈夫でしょう。
あの方も5キロ低くなっていれば、自分でケーキを買って、立会人に買ってあげることになっています。
さて、金曜日どうなるのでしょうか。
Posted by プラス at
22:28
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2010年12月01日
2010年12月01日
今年の終わり月の独り言
この歳になったら・・・
自分の最後のことも、考えとかななあ。
毎月の月初めに、遺書を考えるとしようかなあ。
歳の締めくくり12月という年に一度でも良いかなあ。
辞世の句も考えたいなあ。
・・・本日は無理です。いろんな人のを本で読んでメモしておき、おいおい考えます。
しかし、そのうちぼけてしまって、・・・ですかねえ・・・。
まっ・・・いいでしょう。
さて、何も残す物はないけど、ちょっと他の人より多いかもしれないのが、自分の職業に関する本。さて、もらってもらえそうな人も思い浮かばないなあ。小さな書庫のなかに、今までの資料もあるが結局は自分だけの思い出にすぎないから、すぐゴミに出したらいいです。あの「翼」や、なんだかんだの何巻もの古いマンガたちは、今のうちに自分で処分しても良いなあ。
パソコンも雑文ばかりが詰まっているし、かっこわるいし、もう古いので、回収に来る業者などには、決して出さず、壊してしまってほしいと思います。以前、偶然にも知り合いの医師のパソコンが、死んで手放してあったのでしょう偶然に猫のおばちゃんの家にあったのです。中身の大半は、消えていたのでしょうが、僕のはそんなことせず、ハンマーで壊してしまってください。
さて、あとはネクタイですか。息子が入らないなら、ゴミ袋二、三個につめ、どこかのバーザーにでも出して、後は処分ですね。
あと、自分の物に関して、何をどうしてほしいということは、全くありません。
以前は、ホームページで自分の生い立ちを書いたページがあったのですが、それをどこかに出しておきましょうかねえ。
まっ、ひとことでいえば、ありがたい人生でした。
チキンラーメンの誕生が、僕の人生をずいぶんまげてしまったとは、思いますが。まっ、育ちざかりの4年生。あんなうまい物は食べたことがなかったので、必ず毎日1つ以上食べたとしたら、それまでキリンというあだ名だった私が、2年でブタになったのですから。
3年では、学年で一番走りが速く、1年生からの3年間は、地区の学年対抗リレーに学年代表で出ていたのが、6年生のマラソンでは、べべだったのですから。
まっ、太って浮いたので、3キロプールで泳いで、先生にもうやめろと言われ上がった記録大会。それでも体育は他がどぐさいから3だったなあ。校内で一番泳いだのだから、そんな位の時は5つけてよ。僕だったら絶対つけるなあ。
まっ、順調に中学・高校・大学。
親が大学に来たのは、卒業の時と、あと1回は、大学当局から私が呼ばれたとき。あのときは「合否電報」といのが、大学入試のときにあり、電報1本で千円が成立していた。その合否電報で、合否を1本まちがえて出した。今なら携帯があるし、ネット上で見られるようにもなっていて、大昔の話である。
私は、反省の坊主頭。丹波の雪深い田舎まで、謝りに行き、バイトの儲けもパー。4年になり、大学ゼミの先生にゼミがある水曜日は、必ず毎週大学からタクシーに乗り飲みに連れっていただいた。猿山のサルの行動を一年中ずっと見ていたという先生。毎週僕を連れってくれる酒好きなので、早くに逝ってしまったなあ。本当に、ありがとうございました。卒業の写真の僕の上に「和顔」と、書いてくださったこと。ありがたく、まっ、タクシー代から、飲み代まで全て学生のおんぶにだっこで有難く、それに報いるためかどうか、今まで、自分なりには、実践してきたつもりです。お世話になりました。よい宵山にもあの鐘の音が聞こえるようなところで、先生に甘えて飲んでいましたねえ。
先生に驕ってもらえた分の、1/100くらい後輩におごらねば、まだ死んだらダメですねえ。まっ、今の職場でコーヒーくらいをおごる位で・・・。申し訳ないことです。若いときに、していただいた分をもう少し、してあげることをしたいと思います。
就職も、おかげさまで、お世話になりいいスタート切れました。「・・五人衆」ということで、1年目は9時頃まで必ず職場で、五人衆が残って仕事してましたね。私は、朝は、オヤジの出勤に合わせ、6時半に行き、帰りは9時の最終バスで通いました。まあ本当に楽しいことばかりでした。
縁あって職を変えて3年目。これも大学で免許証をとっていたからのこと。機会あれば、何かの免許を持つというのも大事なんだなあと。一生使わないだろうと思った免許証がとって30年目に使うことになるのですから、仏様はうまいこと、考えてくれています。
いろいろ今までに余暇でしていたことが、今活かされて、余暇と思ってしていたことが本暇となっているように思います。この職業では、和歌山市では、私が初めての男です。その私が受け入れてもらったのは、以前であった方が、そのメンバーの中に数名おられたからです。ちゃんと、受け入れてもらえるように仏さんが仕組んでくれていたことが、不思議であり有難いことだと思っています。これもありがとうございました。
今の職場の人も、よう働く。汗も涙も流しながら、人を大事にする方ばかりです。人を落とし込んだり、二枚舌を使うような人はいません。そうそう今年そこに来られた人は「ありがとう」が多い職場だと言ってくださったことがあります。外から来た方にそういってもらい、有難かったです。これ以上ない、いい職場で働かせていただきました。ありがとうございました。
職場に置いているのは、着替えくらいです。ゴミ袋に入れ、ぽいとしてくれたらかまいません。職場に関係する方にも、大変おせわになりました。ありがとうございました。
私の生んでくれた両親に感謝します。最近、生協病院の「けんくら」に雑文を出したことで、4.5人が電話をくださったり、見たよと行ってくれます。あのようなお手本のような両親です。あのとおりいまだに保母毎日父親が病院に行き1日過ごすのは、お手本です。大声だして怒られたこともないです。母親のプラス思考が、私を育ててくれるのに一番すばらしいことだったと思っています。中学の時は、毎日サッカーをして、あのときの靴が右ばかり1ヶ月で口が割れたり。月に一足買ってもらうくらい、だのに文句も聞いたことないなあ。今の僕には出来ないなあ。人の悪口をうらでけっして言わないのは、プラス思考の最高の状態の人だからだと思いますねえ。
ありがとうございました。
最後は、今の家族ですね。
家のことをしない私を、一から十までありがとうございます。
こんな機会は良いですねえ。洗い物が自分の引き出しにあり、毎日、そこからくつした・パンツ・と出して、洗濯機の所に置いておけば、またこの引き出しから出てくる。当たり前のことのように思い、御礼も言ってませんが、ありがとうございます。一人夕食を食べることが多い私、飲みながら何かあればいいので、置いておかなくても良いと言い続けてきたが、何かおいてくれてましたねえ。遅い時間帯に飲みながらあるものを食べてしまうので、遅いときは何もいらないと行っていたのですが、まっ、ありがとうございました。
好きかってしてきたからですが、着る物・食べるもの・車・全てのことに文句も言わず、比較的、手のかからない私だったと思っているのですが、どうだったのでしょう。お世話くださりありがとうございました。
つけたしですが、預金もそうないですが、借金もありませんのでご安心ください。
娘、就職一年目の姿を見て、すでに、私を追い越したと感心しました。これから先が長いし、大切な時間になると思いますが、とっても良い経験が出来たのではないでしょうか。今考えている「手に職をつけ」るのがいいと思います。手先が器用ですから、人とかかわる仕事も出来、いいと思います。犬のモコだけでなく癒される一生の環境を少しずつつくっていってください。自分のお寺には、出来るだけ、御礼を言いに年に一度言ってくださいね。
息子、今のところ一番心配です。まっ、友人が多いことで、なんとかなるでしょう。大学での「0」番マーク、震災十年目の儀式に出られる運を持ち合わせている運の強さ。「われ有り」の気持ちで、しっかりと歩いていってください。自分の立っている場所で、他の人以上に掘る。深く掘れば、深さだけでなく自然と穴の直径も大きくなります。木の神様の神社に都度都度御礼に行くと良いですね。
大学の友人達も、ありがとうございました。大学でお世話になった方も、ありがとうございました。サークルの友人達もありがとうございます。そうそう、この前の仕事について何か乗り越えなければならないときに、夜半まで教えてくれ、晩飯もいただき、挙げ句の果てに飲んだら車で乗せて帰ってくれてというような世話になった先輩の方もありがとうございました。大昔のことのように思いますが、密かに御礼を言いたい人もいます。凝縮された人生の一ページをありがとうございました。
そうそう、今の職場に行くことが、寿命を延ばしてくれたのは事実です。
健康診断で、F(要治療)でしたか。いくつも3年前まであったのです。94キロで、血がわるかったのでしょうねえ。昨年は、Cの検査結果はあったのですが、全体的に健康な体にしてくれ、今日が84キロ台になっています。
これは、ありがたいことです。
3年前まで、口だけで仕事をしていたのでしょう。今は、30分は箒を持っていたり、体を動かしています。それだけでなく、1ヶ月前に、「一緒に1ヶ月で5キロ痩せましょう」と、さそってくださったかたも、私にとっては、機会を与えてくださった仏様です。その方と、もう一方にも、今の仕事を楽しくさせていただいているひとつとして、ありがとうございますと、御礼申します。
生きていたら、12月3日が、その人と5キロ減の体重チェックの日です。88.8キロ(服を着て90キロ)スタートです。83キロ台になっていたらうれしいのですが。
しかし、これを機会に、大学を卒業時78キロくらいでしたので、そうなりたいなあ。大学1回の71.2キロにもなってもいいなあと思っています。
さて、生きて入ればの物語ですが、どうなることでしょう。
振り返りの機会、いいですねえ。
人間どこで、どうなることかわからないですから、この年になると、振り返ることも大事です。
いざというとき、密かに、ここにこんな事を書いていると、見つけてくれるのは、僕と関わった中で、一番出世の理髪店オーナーにお願いしておきます。
まだまだ、お世話になった方が多いことでしょう。
ここで振り返っても、有難いことばかりでした。
また、来月に(あるいは来年の12月に)、振り替えれたらいいなあと思い。
今日までを閉じます。ありがとうございます。
12月1日
追伸)
出来れば、両親よりは、先に逝かないように、自分では気をつけようと思っています。
しかし、正直なところ、老いること、・・・喪失すること・・・怖いです。
今日、家人にそんなことをいいますと・・・ヒマだからそんなことをかんがえるんや。私なんか、80パーセントは仕事で回っているから、明日のこと、この土曜日の司会をどう回そうかのこと、毎日のことで一杯で、そんなことを考えたこともないわ・・・。
確かに、何もすることなく、時間をもてあまし、炭の燃えた後の灰のような日々。それでも、ところどころ火も残り、ぼんやりとあたたかさも残しているつもりですが。そのような日々がどれだけ続くのでしょうか。死ぬまでのようにも感じています。
はたまた、灰の中にかくして残しておいた木ぎれが、もう一度燃え、趣味か社会貢献かの日の当たる日を過ごすようになることもあるのでしょうか。
自分でも楽しみにしておきたいと思います。
今日の段階で、家人に言ったのは、四国巡礼。60で仕事を納め。何かあるときは、戻ってくるけど、毎日一人で歩いているところが目に浮かぶなあと・・・。
そういえば、大学の時に、テント担いで京都市内から、三千院まであるいたのを思い出した。60越えてテントを担ぐのはどうかと思うので、寝袋だけ担いでいきましょうかねえ。キャンプカウンセラーの経験が、60越えてから、活かされるのですかねえ・・・。
私の母も、いつまでも元気でいるとばかり思っていたのが、突然の脳梗塞。
人は、明日が分かりません。今日、この振り返りの機会を与えてくださったのも、おかげです。
不安定な時期をなんとなく過ごしたら、また、ノー天気な私になるのだと思います。
以前は、風呂に浸かる時が至福の時間だったのですが、今は、布団で眠りぎわが一番の至福の時間。
そうそう、トットちゃんがしていると、10年以上前にテレビで聞いてから、私も、飲んで知らない間に寝たときはともかく、意識あつて眠りにつくときは、「足さん、ありがとう。・・・心臓さん、ありがとう。・・・」と、まず自分の体の部分を意識し動かしながら、小さな声に出して、ありがとうと言います。これは、死ぬまで続けたいですねえ。
そうして、眠りにつけたら最高ですねえ・・・。
それじゃ、ふくろうさん、おやすみなさい。
みなさんおやすみなさい。
※最後なので書きます。ふくろうさんは、「お」をつけると、おふくろです。
自分を生んでくれたおふくろが、生きててくれてるということだけでも、ありがたいですねえ。
生きてる間は、おふくろにも、おやすみをいいたいと思います。
自分の最後のことも、考えとかななあ。
毎月の月初めに、遺書を考えるとしようかなあ。
歳の締めくくり12月という年に一度でも良いかなあ。
辞世の句も考えたいなあ。
・・・本日は無理です。いろんな人のを本で読んでメモしておき、おいおい考えます。
しかし、そのうちぼけてしまって、・・・ですかねえ・・・。
まっ・・・いいでしょう。
さて、何も残す物はないけど、ちょっと他の人より多いかもしれないのが、自分の職業に関する本。さて、もらってもらえそうな人も思い浮かばないなあ。小さな書庫のなかに、今までの資料もあるが結局は自分だけの思い出にすぎないから、すぐゴミに出したらいいです。あの「翼」や、なんだかんだの何巻もの古いマンガたちは、今のうちに自分で処分しても良いなあ。
パソコンも雑文ばかりが詰まっているし、かっこわるいし、もう古いので、回収に来る業者などには、決して出さず、壊してしまってほしいと思います。以前、偶然にも知り合いの医師のパソコンが、死んで手放してあったのでしょう偶然に猫のおばちゃんの家にあったのです。中身の大半は、消えていたのでしょうが、僕のはそんなことせず、ハンマーで壊してしまってください。
さて、あとはネクタイですか。息子が入らないなら、ゴミ袋二、三個につめ、どこかのバーザーにでも出して、後は処分ですね。
あと、自分の物に関して、何をどうしてほしいということは、全くありません。
以前は、ホームページで自分の生い立ちを書いたページがあったのですが、それをどこかに出しておきましょうかねえ。
まっ、ひとことでいえば、ありがたい人生でした。
チキンラーメンの誕生が、僕の人生をずいぶんまげてしまったとは、思いますが。まっ、育ちざかりの4年生。あんなうまい物は食べたことがなかったので、必ず毎日1つ以上食べたとしたら、それまでキリンというあだ名だった私が、2年でブタになったのですから。
3年では、学年で一番走りが速く、1年生からの3年間は、地区の学年対抗リレーに学年代表で出ていたのが、6年生のマラソンでは、べべだったのですから。
まっ、太って浮いたので、3キロプールで泳いで、先生にもうやめろと言われ上がった記録大会。それでも体育は他がどぐさいから3だったなあ。校内で一番泳いだのだから、そんな位の時は5つけてよ。僕だったら絶対つけるなあ。
まっ、順調に中学・高校・大学。
親が大学に来たのは、卒業の時と、あと1回は、大学当局から私が呼ばれたとき。あのときは「合否電報」といのが、大学入試のときにあり、電報1本で千円が成立していた。その合否電報で、合否を1本まちがえて出した。今なら携帯があるし、ネット上で見られるようにもなっていて、大昔の話である。
私は、反省の坊主頭。丹波の雪深い田舎まで、謝りに行き、バイトの儲けもパー。4年になり、大学ゼミの先生にゼミがある水曜日は、必ず毎週大学からタクシーに乗り飲みに連れっていただいた。猿山のサルの行動を一年中ずっと見ていたという先生。毎週僕を連れってくれる酒好きなので、早くに逝ってしまったなあ。本当に、ありがとうございました。卒業の写真の僕の上に「和顔」と、書いてくださったこと。ありがたく、まっ、タクシー代から、飲み代まで全て学生のおんぶにだっこで有難く、それに報いるためかどうか、今まで、自分なりには、実践してきたつもりです。お世話になりました。よい宵山にもあの鐘の音が聞こえるようなところで、先生に甘えて飲んでいましたねえ。
先生に驕ってもらえた分の、1/100くらい後輩におごらねば、まだ死んだらダメですねえ。まっ、今の職場でコーヒーくらいをおごる位で・・・。申し訳ないことです。若いときに、していただいた分をもう少し、してあげることをしたいと思います。
就職も、おかげさまで、お世話になりいいスタート切れました。「・・五人衆」ということで、1年目は9時頃まで必ず職場で、五人衆が残って仕事してましたね。私は、朝は、オヤジの出勤に合わせ、6時半に行き、帰りは9時の最終バスで通いました。まあ本当に楽しいことばかりでした。
縁あって職を変えて3年目。これも大学で免許証をとっていたからのこと。機会あれば、何かの免許を持つというのも大事なんだなあと。一生使わないだろうと思った免許証がとって30年目に使うことになるのですから、仏様はうまいこと、考えてくれています。
いろいろ今までに余暇でしていたことが、今活かされて、余暇と思ってしていたことが本暇となっているように思います。この職業では、和歌山市では、私が初めての男です。その私が受け入れてもらったのは、以前であった方が、そのメンバーの中に数名おられたからです。ちゃんと、受け入れてもらえるように仏さんが仕組んでくれていたことが、不思議であり有難いことだと思っています。これもありがとうございました。
今の職場の人も、よう働く。汗も涙も流しながら、人を大事にする方ばかりです。人を落とし込んだり、二枚舌を使うような人はいません。そうそう今年そこに来られた人は「ありがとう」が多い職場だと言ってくださったことがあります。外から来た方にそういってもらい、有難かったです。これ以上ない、いい職場で働かせていただきました。ありがとうございました。
職場に置いているのは、着替えくらいです。ゴミ袋に入れ、ぽいとしてくれたらかまいません。職場に関係する方にも、大変おせわになりました。ありがとうございました。
私の生んでくれた両親に感謝します。最近、生協病院の「けんくら」に雑文を出したことで、4.5人が電話をくださったり、見たよと行ってくれます。あのようなお手本のような両親です。あのとおりいまだに保母毎日父親が病院に行き1日過ごすのは、お手本です。大声だして怒られたこともないです。母親のプラス思考が、私を育ててくれるのに一番すばらしいことだったと思っています。中学の時は、毎日サッカーをして、あのときの靴が右ばかり1ヶ月で口が割れたり。月に一足買ってもらうくらい、だのに文句も聞いたことないなあ。今の僕には出来ないなあ。人の悪口をうらでけっして言わないのは、プラス思考の最高の状態の人だからだと思いますねえ。
ありがとうございました。
最後は、今の家族ですね。
家のことをしない私を、一から十までありがとうございます。
こんな機会は良いですねえ。洗い物が自分の引き出しにあり、毎日、そこからくつした・パンツ・と出して、洗濯機の所に置いておけば、またこの引き出しから出てくる。当たり前のことのように思い、御礼も言ってませんが、ありがとうございます。一人夕食を食べることが多い私、飲みながら何かあればいいので、置いておかなくても良いと言い続けてきたが、何かおいてくれてましたねえ。遅い時間帯に飲みながらあるものを食べてしまうので、遅いときは何もいらないと行っていたのですが、まっ、ありがとうございました。
好きかってしてきたからですが、着る物・食べるもの・車・全てのことに文句も言わず、比較的、手のかからない私だったと思っているのですが、どうだったのでしょう。お世話くださりありがとうございました。
つけたしですが、預金もそうないですが、借金もありませんのでご安心ください。
娘、就職一年目の姿を見て、すでに、私を追い越したと感心しました。これから先が長いし、大切な時間になると思いますが、とっても良い経験が出来たのではないでしょうか。今考えている「手に職をつけ」るのがいいと思います。手先が器用ですから、人とかかわる仕事も出来、いいと思います。犬のモコだけでなく癒される一生の環境を少しずつつくっていってください。自分のお寺には、出来るだけ、御礼を言いに年に一度言ってくださいね。
息子、今のところ一番心配です。まっ、友人が多いことで、なんとかなるでしょう。大学での「0」番マーク、震災十年目の儀式に出られる運を持ち合わせている運の強さ。「われ有り」の気持ちで、しっかりと歩いていってください。自分の立っている場所で、他の人以上に掘る。深く掘れば、深さだけでなく自然と穴の直径も大きくなります。木の神様の神社に都度都度御礼に行くと良いですね。
大学の友人達も、ありがとうございました。大学でお世話になった方も、ありがとうございました。サークルの友人達もありがとうございます。そうそう、この前の仕事について何か乗り越えなければならないときに、夜半まで教えてくれ、晩飯もいただき、挙げ句の果てに飲んだら車で乗せて帰ってくれてというような世話になった先輩の方もありがとうございました。大昔のことのように思いますが、密かに御礼を言いたい人もいます。凝縮された人生の一ページをありがとうございました。
そうそう、今の職場に行くことが、寿命を延ばしてくれたのは事実です。
健康診断で、F(要治療)でしたか。いくつも3年前まであったのです。94キロで、血がわるかったのでしょうねえ。昨年は、Cの検査結果はあったのですが、全体的に健康な体にしてくれ、今日が84キロ台になっています。
これは、ありがたいことです。
3年前まで、口だけで仕事をしていたのでしょう。今は、30分は箒を持っていたり、体を動かしています。それだけでなく、1ヶ月前に、「一緒に1ヶ月で5キロ痩せましょう」と、さそってくださったかたも、私にとっては、機会を与えてくださった仏様です。その方と、もう一方にも、今の仕事を楽しくさせていただいているひとつとして、ありがとうございますと、御礼申します。
生きていたら、12月3日が、その人と5キロ減の体重チェックの日です。88.8キロ(服を着て90キロ)スタートです。83キロ台になっていたらうれしいのですが。
しかし、これを機会に、大学を卒業時78キロくらいでしたので、そうなりたいなあ。大学1回の71.2キロにもなってもいいなあと思っています。
さて、生きて入ればの物語ですが、どうなることでしょう。
振り返りの機会、いいですねえ。
人間どこで、どうなることかわからないですから、この年になると、振り返ることも大事です。
いざというとき、密かに、ここにこんな事を書いていると、見つけてくれるのは、僕と関わった中で、一番出世の理髪店オーナーにお願いしておきます。
まだまだ、お世話になった方が多いことでしょう。
ここで振り返っても、有難いことばかりでした。
また、来月に(あるいは来年の12月に)、振り替えれたらいいなあと思い。
今日までを閉じます。ありがとうございます。
12月1日
追伸)
出来れば、両親よりは、先に逝かないように、自分では気をつけようと思っています。
しかし、正直なところ、老いること、・・・喪失すること・・・怖いです。
今日、家人にそんなことをいいますと・・・ヒマだからそんなことをかんがえるんや。私なんか、80パーセントは仕事で回っているから、明日のこと、この土曜日の司会をどう回そうかのこと、毎日のことで一杯で、そんなことを考えたこともないわ・・・。
確かに、何もすることなく、時間をもてあまし、炭の燃えた後の灰のような日々。それでも、ところどころ火も残り、ぼんやりとあたたかさも残しているつもりですが。そのような日々がどれだけ続くのでしょうか。死ぬまでのようにも感じています。
はたまた、灰の中にかくして残しておいた木ぎれが、もう一度燃え、趣味か社会貢献かの日の当たる日を過ごすようになることもあるのでしょうか。
自分でも楽しみにしておきたいと思います。
今日の段階で、家人に言ったのは、四国巡礼。60で仕事を納め。何かあるときは、戻ってくるけど、毎日一人で歩いているところが目に浮かぶなあと・・・。
そういえば、大学の時に、テント担いで京都市内から、三千院まであるいたのを思い出した。60越えてテントを担ぐのはどうかと思うので、寝袋だけ担いでいきましょうかねえ。キャンプカウンセラーの経験が、60越えてから、活かされるのですかねえ・・・。
私の母も、いつまでも元気でいるとばかり思っていたのが、突然の脳梗塞。
人は、明日が分かりません。今日、この振り返りの機会を与えてくださったのも、おかげです。
不安定な時期をなんとなく過ごしたら、また、ノー天気な私になるのだと思います。
以前は、風呂に浸かる時が至福の時間だったのですが、今は、布団で眠りぎわが一番の至福の時間。
そうそう、トットちゃんがしていると、10年以上前にテレビで聞いてから、私も、飲んで知らない間に寝たときはともかく、意識あつて眠りにつくときは、「足さん、ありがとう。・・・心臓さん、ありがとう。・・・」と、まず自分の体の部分を意識し動かしながら、小さな声に出して、ありがとうと言います。これは、死ぬまで続けたいですねえ。
そうして、眠りにつけたら最高ですねえ・・・。
それじゃ、ふくろうさん、おやすみなさい。
みなさんおやすみなさい。
※最後なので書きます。ふくろうさんは、「お」をつけると、おふくろです。
自分を生んでくれたおふくろが、生きててくれてるということだけでも、ありがたいですねえ。
生きてる間は、おふくろにも、おやすみをいいたいと思います。
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2010年12月01日
夜は、くねくね
あまったひとつと
いってたのに
くてから
おい、あれは・・・なんて
こせこせしたことを
おまえは・・・
おさなごのように
いみもなく言う
いってたのに
くてから
おい、あれは・・・なんて
こせこせしたことを
おまえは・・・
おさなごのように
いみもなく言う
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